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Mit Lille Smørhul

北シェランからのお便りです。

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H.C. Andersens Eventyr - アンデルセンのおとぎ話

DSC00510.jpg 週末、Fyn島(フュン)へ小旅行をしてきました。私たちの住むSjælland(シェラン島)から、デンマーク第三の都市、Odense(オーデンセ)へ向かいました。街なかを河が流れていて、のんびりした住み心地の良さそうな街でした。

早速、H.C.Andersen Hus(アンデルセン博物館)へ向かいました。小さい上映室では、アンデルセンの生涯を、彼の有名な童話と併せて辿る短編映画を上映していました。なかなか良く出来ていました。

その後行ったH.C.Andersens Barndomshjem(アンデルセンの子供時代の家)は、話には聞いていたが本当に小さかったです。画像の家がそれなのだが、実は長屋で3軒に分かれています。この向かって一番右の部分が、アンデルセンの生家です。

ここでは、アンデルセンの母と同じ名前のAnne Marieさんという案内役が「この狭い家で、アンデルセンは、両親と三人で暮らしていました。」等説明してくれました。しかし、色々質問すると、「アンデルセンは自伝に、親子3人で暮らしていたと書いたけど、実はアンデルセンにはお姉さんも、お婆さんも居たのよ。お姉さんは、お母さんの連れ子で、そのお姉さんの父親は誰だか解らなかったの。ここで実は5人が暮らしていたのよ。」と教えてくれました。

DSC00506.jpg アンデルセンの父は、靴職人だったと云われていますが、実は靴修理を主にしていたといいます。志願兵として出征した時、肺炎を患って33歳の時に亡くなりました。母は、夫が亡くなった後、近くの河で洗濯屋をしていましたが、寒さで凍えた体を温める為、お酒を飲みすぎてアルコール中毒になりました。姉は、のちにコペンハーゲンにあったアンデルセンのおばの経営する娼婦宿で働くようになり、アンデルセンが有名になった時、自分が姉だということを言いふらすと脅して、金を巻き上げたといいます。

*横の画像は、アンデルセンが幼少期によく眺めていたという裏戸口からの景色。

アンデルセンは14歳の時に家を出て、王立劇場で役者や台本を書く仕事を始めました。決してすぐに成功はしなかったが、ここで彼の書いていた戯曲が、王立劇場の理事に認められ、17歳の時から公費でグラマースクールに通い始めました。

また、アンデルセンは、国王の隠し子だったという説が知られているようです。夫がその事についてAnne Marieさんに尋ねると、こう説明してくれました。「そうね、DNAテストが出来れば確実なのだけど、その材料もないからね。確かに、クリスチャン8世が一時住んでいたLangeland(ランゲラン島)で、アンデルセンの母が働いていたという説がある。それにアンデルセンの父が出征した時に、法外な報酬が支払われたり、貧しく何の縁故もないアンデルセンが、王立劇場で働けたり、決して評判の良くなかった戯曲が認められて公費でグラマースクールに行けたことは、不思議だと云われている。真偽の程は解らないけど、これもアンデルセンのおとぎ話の一つだと思うと良いんじゃないかしら・・・。」

悲しみと希望が混在するアンデルセンのおとぎ話、アンデルセンの生涯もそうだったのでしょうか。
  1. 2006/05/09(火) 07:00:00|
  2. 旅 - rejse

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